初めまして。視線恐怖に悩んでいます。事業所に通っています。良いアドバイスがありましたらよろしくお願いします。
皆様どの様な新年をお迎えでしょうか?元旦は晴れで初日の出を拝み、今年もお照らし下さいと念じました。 神社も参りおみくじも大吉でした。体調やざわざわな気持ちと付き合いながら今年も日常の事をやれたらオーケーとしたいですが、神経質の欲張りで現実と欲望の違いに折り合いをつけたいですね。1月号の発見誌で近藤 章久先生のことばが印象的でした。・ 自分の生きている全時間が全部不安であることはないのが現実です。・ 不安に気づくとわずかの不安を大変だと過大に感じてそれに圧倒されてしまう。・ 神経症の人は症状を持っていると、症状が自分というものの全部であると考えている。・ 全部だと思い込んでしまっているのは間違った考えである。・ 症状以外の持っている能力を働かせ自分を生かす事ができる。正しく自分を見ると力強く生かす事が出来る。私も孤独感や不安感でいっぱいの時はすべてのものがそのフィルター越しにみて、だるまさんにしています。感動や共感、楽しい気持ちも感じているのに、しっかりそこを感じていれば良いんですね。全時間が不安じゃ無いと気づくとちょっと楽になりますね。 今年も参加される皆さんとお互いのお話の中でお互い気づき成長したいです。宜しくお願いします。
冷たい風がよく吹いているこの頃です。夏場の長雨の時は風も吹かず畑も乾かず今になって雨はお休み、風はびゅうびゅうで収穫には助かっていますが、長雨でビートは根腐れがとても多くなっています。 仕方ありませんね。みなさん、体調崩さず生活されていますか?私は昨年の一月号につたない川柳が入選して活字となり載っていて嬉しかったので今年も考えているところで昨年の一月号を見返しましたら、2014・9月号と10月号に載っていた「堪えがたい痛み」から「平気な痛み」への文が参考になりましたという文が載っており、「あー載っていたな〜」とゴソゴソと引っ張り出して読み返してみましたら痛みも天気と同じように、自分でコントロール出来なくて、いろいろ頑張ると余計に注意が痛みに向いてしまうので、出来る事を丁寧にやってみることが大事なようです。痛みを緩和しようとしても良くならず抱えている患者さんも少なくないそうです。痛みは辛いので、辛い!と言いながら、日々の事を見渡して落ち着き、味わうように向けていかなければいけないようです。 読み返すとまたすっと気づきもありますね。相変わらずで負のスパイラルにはまりながらも軌道修正しながらやるしかありません。(涙)寒くなってきました。お体ご自愛下さいね。
トップページがらご覧下さい。パンフレット印刷して、みなさんにお知らせいただけると幸いです。
今日は家の草ぬきをやりました。
コメントありがとうございます(*^。^*)
森田先生の言葉は自由に考えられる方にとっては当たり前の事ばかりと思うかもしれませんね。森田先生の言葉を正しく理解しないといけないと思い込んでしまうと、理解出来ないと思う自分と格闘してしまうと思いますよ。そうなると不快な感情が沸き上がり、どうにかしなければとざわざわしてしまうように思います。森田療法を自分に生かそうと努力されていますね。現実はいろいろな悩みやらで行きつ戻りつしながら自分はこういう考えの癖があると思いながらも現実の事に対処しながらやるしかありませんね。のんびりくま さん!理解できてやれるようになったところ沢山ありますよ。 私も未だハラハラや心配性や自己中心的なところと共存しながら、落ち込みながらも何とかやっている感じですね。私達は考えの打ち切りが苦手なので、苦しいながら好きな事をちょっとやってみて、心の車輪をちょこっと前に進めましょう。やりたい事を重い心のままに手を出してみてはどうでしょう。時間の経過と共に落ち着かれますように・・・。
こんなくだらない質問ばかりしてすみません。言葉にとらわれてしまうことと、不快な感情とは一緒に起こるとぼくはおもいます。今の悩みはそれだけじゃないです。その言葉のとらわれと同時に不快な感情も起こりそのつらいことが抱えたまま次のステップ恐怖突入できないことです。本当は沢山のやりたいことがあるのに不快な感情がつらくてなかなかやりたい目的になる物事ができていないのが現実です。
言葉にとらわれてしまうことには自分自身の不快な感情もとらわれには入ると自分自身の考えではそういう捉え方をしています。
こんばんわ(*^。^*)のんびりくまです。最近はすぐに言葉にとらわれてしまうくせがありこまっています。